病院の歴史

当院の特徴

当院は、秋田県のほぼ中央部に位置する日本海岸線に突き出した男鹿市唯一の公立病院です。
当院は、平成10年7月に男鹿市立総合病院から男鹿みなと市民病院に名称を変え、マリーナが隣接する現在地に新築移転を行っています。
研修・教育には力を入れており、特に新人の育成においては手厚い体制を敷いているため、近年は新人の離職率は0%となっています。病院からは、四季折々の表情を見せる日本海、寒風山をはじめ出羽の山並み、森吉山系が展望でき、自然に恵まれた風景が一望できます。
そのような好環境の中、職員がお互いに高めあい、共に成長していける穏やかな雰囲気の病院です。

当院の歴史

当院の歴史の中で主なできごとは次のとおりです。

昭和19年 小沢田区に日本医療団船川病院として開設
昭和23年 日本医療団解散のため船川港町国民健康保険組合の直営診療施設となる
昭和24年 船川港町国民健康保険組合事業を公営として発足するにあたり、船川港町に移管、
国民健康保険直営病院となる
昭和29年 木造モルタル2階建てに改築
昭和30年 7町村合併で男鹿市に移管し、男鹿市立総合病院として発足
昭和47年 鉄筋コンクリート4階建て新病棟建築
平成10年 病院の全般的な狭溢化・老朽化が著しく、患者本位の機能的・効率的な病院、
市民と密着した病院づくりを目指し、病院の名称を男鹿市立総合病院から
男鹿みなと市民病院に名称を変え、マリーナが隣接する現在地に新築移転
平成17年 男鹿市と若美町との合併により新しく生まれ変わった男鹿市に移管

病院から見える景色

病院付近で開催される男鹿日本海花火

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